ああ、ニルヴァーナ

ついつい微笑んでしまうのです。この胸に、自分の中に、神がいるのですから。

真我のきらめき。第3幕

 

 

 

 

 

<第3幕> 時間という幻想

時間という幻想

「私」に戻ると、
一瞬、一瞬
瞬間、瞬間なのです。

過去や未来に存在できない。
永遠に「今ここ」の瞬間があるだけ。


全てが「私」だけど、
「私」が表現できない全てのものが、
この幻想の世界にはある。

それが「私」が経験したかった、
「私」のひとり遊び。
壮大な壮大すぎる、ひとり遊び。


自我を生きていると、
常に過去のトラウマにさいなまれ、
未来の不安に心を奪われる。


しかしそれも幻想。
なぜなら、「私」はこの瞬間にしか居れないから、
永遠に続く、「今」「この瞬間」


「私」には瞬間、瞬間、
永遠に続く、瞬間の連続しかない。

だから、それ以外は、全ては幻想。

あー、今、わかる。

あんなにもリアルに感じていたから、
疑うことなく信じていた
「過去生」さえも幻想。


そういう過去生をもった自分というキャラ設定。
 

昨日があって、
今日があって、
明日がある。
・・・・なんて、一切の幻想。
ああ、なんていう、リアルすぎる幻想。


ああ、「私」にあるものは、この世にはなく、
「私」にないものがこの世に全てある。
あはは、いったい何ということだろうか?


「私」が経験できないことを、
自分はこの幻想の世界で経験している。


「私」には気が遠くなりそうになるくらいの
永遠の「瞬間」があるだけ。
 


今生の自分の経験すらも、
実はあいまいなものなのかもしれない。
そのような人生を経験したような気になっているけれど、
もしかそれさえも、幻想なのかもしれない。
そもそもが幻想なのだから。


何一つ確かなものなどない、この世界。
自分が経験した人生さえも、
実は定かではないのかもしれない。
あんなに嬉しかったことも、
あんなに悔しかったことも、
実はそれさえも幻想なのかもしれない。

実はそのような設定で今を生きているだけなのかもしれない。
なぜなら、「私」は瞬間、瞬間にしか居れないのだから。


実はこの世の全ては何一つ存在しないのでは?
送ってきたと思われるこの人生さえも。
自分が経験してきたと思っているけれど、
それさえも幻想で夢の中のことかもしれない。
この世界には何もないんだ!
何一つないんだ!!


いろいろあるように見えているけど、
人形や張りぼてみたいに、
ただ形があるように見えてるだけで、
「存在」などしていない。
誰もが、人形やぬいぐるみのようなもの。
それらを使った「私」の究極のひとり遊び。


ああ、何一つ、この世界には「存在」などしていないんだ!!
だから、時間も経験も全ては幻想。


当たり前にあるように見えていたこの世界のものは、
本当は何一つない。
何一つ、自我は得ていない。
何一つ、得ることは出来ない。


唯一あるのは「私」だけであり、
「私」が瞬間、瞬間に存在するだけ。


ああ、大いなる幻想。

だからこの世は「夢の世界」と言われるんだ。
リアルすぎる壮大な夢の世界。
夢の世界を現実と勘違いしてきた。
夢の世界のものは、全て幻想。
だって、夢なのだから。


ドアに指をはさんでしまい、
飛び上がるほど痛くても、
爪がはがれて、血が流れても、
全てが夢。


ただ、あまりにもリアルすぎて、
夢だと気づきにくい、
よく創られた夢。


夢の世界でさまざま積み上げても、
砂の城のようにはかなく消えるもの。


「私」に戻り、
「私」で在りながら、
この世界を経験するならば、
全てが生きたストーリーになる。

「私」が経験するままに。
「私」が見るままに。


もう未練などない。
「私」に主導権を返上する。
「私」にゆだねる。
この世界は「私」の愛の中なのだから。


ああ、ニルヴァーナ


自我が生きているという幻想。
自我に何が出来ようか?
人形劇の人形に何ができようか?

自分でしようと思わない。
ゆだねる。
お任せする。
主導権を返上する。(全権)


だから、どう生きてもいい。
本来、自由だから。
幻想だから。


社会や自分の固定観念(ルール)に縛られずに、
もっともっと自由に生きる。
全てが幻想なのだから。
 

リアルすぎる幻想の世界。
愛で包まれたこの幻想の世界。。。。。