ああ、ニルヴァーナ

ついつい微笑んでしまうのです。この胸に、自分の中に、神がいるのですから。

全てが「私」

 

 

 

 

この身体も、
あの人も、
この人も、
この茶碗も、
この箸も、
このテーブルも、
座布団も、
この壁も、
このドアも、
窓から見えるあの空も、
あの雲も、
あの太陽も・・・
全てが、「私」。


何一つ隔てるものなど無く、
こんなにも全てが「私」。


こんなにも「私」。


全てが「私」。


どこまでも「私」・・・

ん〜、この感覚をどう表現したらいいのやら〜。


自我の自分は、
何一つ持っていない、と思って、
必要だと思われる知識や経験を得ようと、
足りないものを埋めるため、
様々な努力をし、労力を使い、
「得ること」に邁進し続けるけれど、
あはは!
そんなの笑い話。

だって、あれもこれも「私」。

太陽でさえ「私」の一部だし。

何一つ持っていないものなどない。
全て持っている。

のに、自我は何も持っていないように思う。目つぶって生きてるみたいな?


どこまでもが「私」。

全てが「私」。

ああ、「私」。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼応

 

 

 

 

瞑想中

 

 

感じるのは、ただただ幸せ。

高揚ではなく、

ただ穏やかに、

ただ静かに、

ただ感じる幸せ。

 

もうそのままで、幸せだった。

 

その幸せをしばらく(10分弱くらい)感じていると、今度は湧き上がる感謝に咽び泣く。

 

ただただ感謝!

何かに対しての感謝ではなく、何もかも、全てに対する感謝が溢れてくる。

ああ、全てがありがたい!

 

 

生きることと同様に、死ぬことも、

喜びと同様に、悲しみも、

楽しみと同様に、苦しみも、

全てが尊い。何もかもが尊い

ああ、ありがたい! ただそれだけしかない。

 

しばらく、あふれ出る感謝を感じていると、今度は、内側から呼びかけられる感じで続く。

 

ありがとう。生まれてくれてありがとう。

ありがとう。生きてくれてありがとう。

ありがとう。経験してくれてありがとう。

ありがとう。尊い経験をしてくれてありがとう。

辛かっただろう。苦しかっただろう。

ありがとう。

 

 

でももう、大丈夫だから。

もう彷徨うことはない。

ここにいるだけでよい。

もう終わり。そして、始まる。

 

自分(多分自我のこと)は、

ここに来て、ここへ戻り、自分の範囲をやればいい。

 

自分の場所、ここにいなさい。

ドラマに振り回されそうになったなら、

ここに戻りなさい。

もうこれからは、すぐに戻ってこれるから。

 

いつでもあなたは私。

私はあなた。

 

ハンドルを手放せば、

後は私が導く。」

 

 

安らかな気持ちのまま入眠に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これでよし。

これでよし。

 

朝4時。遅く寝たのにすぐに起きる。

ベランダに出る。

 

月明かりに照らされながら、瞑想。

 

「そんなに真剣にならなくともいい。

楽しんで、喜んで、遊んで。

 

 

後は神がなさる。

だから、主導権を渡す。お任せする。

 

 

何の心配も要らない。

全ては神の仕事だから。

最初から、全て。

 

 

(主導権を引き渡す、契約式、返還式のような感じ)

 

これでいい。何も恐れるな!

これでいい。全ての準備は整った!

これでいい。ここからがスタート。

 

 

神で在りながら、

この世界に足を踏み入れよ。

 

神で在りながら、

この世界を経験していく。

新たな経験が始まる。

 

全てがこれでよかった。

全てが順風満帆。

たとえそうは見えなくとも、

全ては完璧。

 

 

あの時こうしてたらよかったのに~、はない。

全てが完璧なタイミングで起こっている。

 

 

だから、もう神にゆだねなさい。

全てをお任せするのです。」

 

 

ああ、もう、何もいらない。

ただただ中心に在るのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが愛だった。。。。この幻想の世界

 

 

 

 

ああ、全てが愛だった。

 

トラウマが、

固定観念が、

決め付けが、

ジャッジが、

邪魔をしていて、

「愛」を「愛」と見ることが出来なかった。

 

 

いつでも愛があったのだ。

いや、全てが愛の表現だった。

 

どんな言動も、どんな行為も、

全てが愛の表れ。

 

たとえ戦争でさえ愛の表れ。

 

何一つ、

危険なことも残酷なことも、

心配なこともない。

 

全てが愛の表れ。

 

 

そして、大きな、大きな愛に包まれた、

この幻想の世界を生きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

真我のきらめき。第3幕

 

 

 

 

 

<第3幕> 時間という幻想

時間という幻想

「私」に戻ると、
一瞬、一瞬
瞬間、瞬間なのです。

過去や未来に存在できない。
永遠に「今ここ」の瞬間があるだけ。


全てが「私」だけど、
「私」が表現できない全てのものが、
この幻想の世界にはある。

それが「私」が経験したかった、
「私」のひとり遊び。
壮大な壮大すぎる、ひとり遊び。


自我を生きていると、
常に過去のトラウマにさいなまれ、
未来の不安に心を奪われる。


しかしそれも幻想。
なぜなら、「私」はこの瞬間にしか居れないから、
永遠に続く、「今」「この瞬間」


「私」には瞬間、瞬間、
永遠に続く、瞬間の連続しかない。

だから、それ以外は、全ては幻想。

あー、今、わかる。

あんなにもリアルに感じていたから、
疑うことなく信じていた
「過去生」さえも幻想。


そういう過去生をもった自分というキャラ設定。
 

昨日があって、
今日があって、
明日がある。
・・・・なんて、一切の幻想。
ああ、なんていう、リアルすぎる幻想。


ああ、「私」にあるものは、この世にはなく、
「私」にないものがこの世に全てある。
あはは、いったい何ということだろうか?


「私」が経験できないことを、
自分はこの幻想の世界で経験している。


「私」には気が遠くなりそうになるくらいの
永遠の「瞬間」があるだけ。
 


今生の自分の経験すらも、
実はあいまいなものなのかもしれない。
そのような人生を経験したような気になっているけれど、
もしかそれさえも、幻想なのかもしれない。
そもそもが幻想なのだから。


何一つ確かなものなどない、この世界。
自分が経験した人生さえも、
実は定かではないのかもしれない。
あんなに嬉しかったことも、
あんなに悔しかったことも、
実はそれさえも幻想なのかもしれない。

実はそのような設定で今を生きているだけなのかもしれない。
なぜなら、「私」は瞬間、瞬間にしか居れないのだから。


実はこの世の全ては何一つ存在しないのでは?
送ってきたと思われるこの人生さえも。
自分が経験してきたと思っているけれど、
それさえも幻想で夢の中のことかもしれない。
この世界には何もないんだ!
何一つないんだ!!


いろいろあるように見えているけど、
人形や張りぼてみたいに、
ただ形があるように見えてるだけで、
「存在」などしていない。
誰もが、人形やぬいぐるみのようなもの。
それらを使った「私」の究極のひとり遊び。


ああ、何一つ、この世界には「存在」などしていないんだ!!
だから、時間も経験も全ては幻想。


当たり前にあるように見えていたこの世界のものは、
本当は何一つない。
何一つ、自我は得ていない。
何一つ、得ることは出来ない。


唯一あるのは「私」だけであり、
「私」が瞬間、瞬間に存在するだけ。


ああ、大いなる幻想。

だからこの世は「夢の世界」と言われるんだ。
リアルすぎる壮大な夢の世界。
夢の世界を現実と勘違いしてきた。
夢の世界のものは、全て幻想。
だって、夢なのだから。


ドアに指をはさんでしまい、
飛び上がるほど痛くても、
爪がはがれて、血が流れても、
全てが夢。


ただ、あまりにもリアルすぎて、
夢だと気づきにくい、
よく創られた夢。


夢の世界でさまざま積み上げても、
砂の城のようにはかなく消えるもの。


「私」に戻り、
「私」で在りながら、
この世界を経験するならば、
全てが生きたストーリーになる。

「私」が経験するままに。
「私」が見るままに。


もう未練などない。
「私」に主導権を返上する。
「私」にゆだねる。
この世界は「私」の愛の中なのだから。


ああ、ニルヴァーナ


自我が生きているという幻想。
自我に何が出来ようか?
人形劇の人形に何ができようか?

自分でしようと思わない。
ゆだねる。
お任せする。
主導権を返上する。(全権)


だから、どう生きてもいい。
本来、自由だから。
幻想だから。


社会や自分の固定観念(ルール)に縛られずに、
もっともっと自由に生きる。
全てが幻想なのだから。
 

リアルすぎる幻想の世界。
愛で包まれたこの幻想の世界。。。。。
 
 
 
 
 
 
 

真我のきらめき。第1・2幕

 

 

 

第1幕 統合

 

ああ、私!!

ああ、私!!

 

 

ずっと待っていた。

ずっとスペースを空けていた。この為に!

 

 

今、

私が私と統合する。

いつも自分が無い感覚、

いつも自分の中心に芯が無いような感覚があり、

いつも無価値感や自己価値不足にさいなまれていた私。

 

 

今、ここに君臨する。

私が私の玉座に君臨する。

私が私の中に君臨する。

 

 

ああ、私!!

ああ、私!!

 

 

私と私の統合。

ずっと待っていたこの時を。

 

 

いつも自分の中に「私」を置く。

あの玉座は「私」の為のものだった。

 

王が宿る私となる。

 

ああ、私!!

ああ、私!!

 

これが本当の姿。

 

 

第2幕 王の帰還

 

私が、やっと神殿へと戻る。

王を自我というこの神殿に招き入れる。

 

家主不在の神殿に

やっと家主が戻る。

王の帰還

 

ああ、待っていた、この時を!

 

(しばらくの間、魂の歓喜に包まれる。)

 

自分自身の王となる。

 

私と私はいつも一緒。

永遠に。

 

 

(そして、ただただ静寂に包まれる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが私

座っている椅子も私。

もたれかかっているこの壁も私。

棚にディスプレイしてある石鹸も私。

そして、この部屋だけでなく、となりの部屋であるキッチンも私。

キッチンの食器棚も私。

冷蔵庫も私。

 

 

ああ、なんてこと!

全てが私でした。

 

 

何もかもが私だったのです。

 

 

ああ、全てが私だったんだ!!

この世界に、私以外のものなど何一つなく、誰一人いない。

全てが私だった!

 

 

そして更に感じてみると、どこまでも私。

宇宙の果てまで私。

私以外、誰もいないこの世界。

 

 

沢山の人がいて、

沢山のものが溢れているように見えていたこの世界。

 

 

しかし、実際は誰一人いない。

誰一人存在しない。

どこまで行っても私だけ。

 

 

全てが私。

私じゃないものは何一つ無い。

というか、私以外が存在しないこの世界。

 

 

「私」の、究極のひとり遊び。

 

 

ああ、私!!

ああ、私。。。。